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一文一投

思ったことを、だれかにひょいっと投げるきもちで

どうにもならない癖に

どうにもならない癖 

 

ご飯のあと、お話ししてると

ビールを飲みながら、テレビを見ていると

そしてたまに、混ざり合ったあととか

 

ふと気付けば、彼は目を閉じていて

先に夢の世界に行って、ずるい

と泣きそうになる

 

途方もない現実に取り残されたわたしは

ひとりぼっちになった気がして

ずるずると毛布を引きずって

フローリングに横になって

せめて幸せそうに夢を見る彼のそばから

少しでも離れようと

 

そんな不幸せなことをしたりしたのでした。

 

いつかわたしのほうが先に

夢の中に行けたらいい

彼は強いので

そうなったとしても

ずっとわたしの寝顔を見ていることでしょう

 

つきまとってる

眠れない、のトンネルは

もう抜けている癖に

しつこくしつこく

わたしを現実に留めようとする

 

幸せに夢を見たい

そしてだからわたしは

強く強く、ちゃんと背筋を伸ばして

途方もない現実を美しく生きたいと

ただそう願うのでした。

 

おやすみなさい、またあした。

 

 

鬼灯の夏

今年も、玄関にほおずきが届いた。

熟れたまま立ち枯れたトマトみたいに美しい、橙色のほおずきだった。

奥さんが両手に抱えて、阿弥陀様にお供えしに行った。

本堂の台所で、一緒に届いた白と黄色の小菊をバケツに付けながら、一人ふと思った。

 

お盆が来る。

 

その時、世界の色が夏に向けて動き出したことが、本当にはっきりと分かったのでした。

 

夏。一年のうちでこの時だけ、あちらとこちらの境目がとろけて曖昧になる。

夏の陽炎がゆらゆらして地面との境目が曖昧になるみたいに、あの世とこの世の境目がゆらゆらして溶け出して、あちらとこちらの境界線が有耶無耶になる。時空が開く。
会いたい人に会えたり、会えない人に想いが届いたりする、不思議な時期。

特に盂蘭盆が近付くと、それはだんだん濃くなって、この世のものでないあれこれが、そこいら中にたくさん「飛び」始める。

これを書いている今も、窓から誰かが覗いているようで、それは匂いではっきりと分かる。

嗅いだことがある、きつい女性の香水の香り。誰の香りだったかは、もう忘れてしまったし、多分向こうも、そんなに覚えてないんだと思う。

 

晩夏に向けて、境界線は細く薄くなる。そして地蔵盆を迎える頃、開いた時空は閉じてしまうようだ。

 

何年前からだろう。お盆に必ずおじいちゃんがやってくるようになった。

家でご飯を作ってる時だったり、布団の上でぼうっとしている時だったり。

ふわっと、おじいちゃんの匂いがする。

整髪料と、乗っていた軽トラと、それから何より山の土や草や、そういった空気の匂い。

ふわっと、漂ってくる。

おじいちゃん、とその度に呼ぶ。しばらくすると、消えてしまう。

初めておじいちゃんが帰って来た時は、泣いてしまった。悲しくて悲しくて、泣いてしまった。

けれど何年か経って、帰って来るのが楽しみになった。

 

今年は、お酒でも買っておこうかと思う。

いらっしゃい。ゆっくりしてってよ。

そう言いたい、そんな気楽さが持てたのも、ここ最近の話だ。

 

仕事が終わった帰りしなに、本堂に供えられたほおずきを見に行った。

お灯がともる阿弥陀様の前で、ほおずきはやっぱり、立ち枯れた綺麗な橙色だった。

 

ほおずき。

鬼灯。

 

昔は、人間の認識外の事柄全て、鬼の事であったと言う。

 

鬼が、足元照らすために持ってきた提灯か。

 

静かに暗い本堂の内陣で、鬼の灯は、夏が始まったことを、はっきりと告げていた。

 

完成って難しい

久しぶりのブログです。

その後ちゃんとピアノやってるんかな問題について。

やってますとも。頑張ってますとも。くじけてませんよ、いまのところ!

 

それにしたっていつでも課題は、リズム、リズム、リズム!!

4拍子でベタッと弾いちゃう癖があるみたい。緩急つかなくてダラダラしてくどくなっちゃう。リズミカルじゃない。

8拍子で、でも鍵盤を押すのは4回だけでいいから、ウラの呼吸を忘れないで、ほんとは8個音符があるんだよーみたいなとこが随分上手くいきません。鍵盤押し続けちゃう。

(そして説明しときながら説明になってません)

 

で。あーなんか、いつでもそうだなあと思ったり。

人生そんな感じだったな、いままで。

ベタッとしてて、押して押して、緩急がないかんじの。

そんなコミュニケーション。

引きどころなんて知らずに、押してダメでも押し続ければなんとかなる!みたいな。引くなんてものは辞書にない!みたいな。

今思えばなんだそりゃって。ええ迷惑やないかいって。

 

エゴだなあ。

押してダメなら引いてみろ、それでもダメなら開けてくれるまで待つこと。

そういうのって、大事。

やってこなかったなあ、今まで。

大事にしてなかったってことだな。

 

裏を感じること。

弾けば鳴る音みたいに、応えてくれていても、それだけが全てじゃなくて、きっと、他にも見えない音符がある。

人それぞれ、たくさん持ってる。

ここは弾くところじゃなくて、休むところ。押すところじゃなくて、引くところ。

そんなことをもうちょっと分かっていきたいなと思う。

 

なんて思いながら練習したり。壊したものは帰ってこないから、たくさん泣いて、後悔して、そんな時もあっていいと思う。そうしないと、二度としない!って誓えなさそうだもの。

 

出来ることやるしかないし、それが一番大変なんだから。

大変なことを、精一杯やることで、今までのたくさんの後悔が、いつか何かの形に昇華できたらなぁと思います。それが、相手にとって、何かの形をした「幸せ」になって、伝わればいいなあとか、そんなのは理想なんですけど。

 

がんばろ。

 

 

 

月が鳴る日

月が鳴る日は
ちろちろと、月が鳴る日は
鈴を一つずつ、紐に垂らして
夜のとばりにしばりつけて
そこにさらりと冷たい風がしのびこんで
ちろちろと
そんなふうに月が鳴る日は
赤い眼をした狼が
静かに空に吠えている

暗い暗い夜の果てで
静かに凍っている月は
少しずつ、少しずつ爆発を繰り返して
月であることに
何故月であるかに
爆発を繰り返して
そしてまた、繰り返す輪廻の向こうへとたどり着いていく

月が鳴る日は
くくりつけた鈴たちがざわめくカーテンのようにちろちろと鳴る、そんな月が鳴る日は
私は布団にくるまって
手のひらで眼を覆い
血の流れ、脈拍の音、ぐるぐると回る夢喰い梟の模様
薄い薄いまぶたの奥に、そんな眠りを捉えて
そしてまたあの、
輪廻の向こうへと。
旅するために、夢を見ている。

海と親不知

親不知を抜いた。
「ご苦労さんでした」
全ての施術が終わった後で、遠山歯科の遠山先生は言った。
「抜いた歯、持って帰る?」
私が頷くと、遠山先生は小さなジップロックのビニール袋に入った歯をくれた。私はそれを受け取り、しばらく眺めた後、持ってきたハンカチで大事にくるんだ。そしてお会計を済ませ、痛み止めを大量にもらうと、遠山歯科を後にした。
「痛かったら、間隔開けず飲んでいいからね」
ロキソニンを渡す時、遠山先生は言った。

別に親不知に悩まされていたわけじゃあない。なんとなく、抜こうと思った。そりゃあ生理前や体調の悪いときには痛むこともあったけれど、それなりに共存していこうと思っていた。
なんで、抜いたんやろなあ。
トートバッグをぶらぶらさせながら、バスに乗る。中央病院前発、北鈴蘭台駅前経由、次は、筑紫が丘5丁目です、筑紫が丘5丁目です、お降りの方は降車ボタンを押してください。
アナウンスが、晩夏の日差しとひんやりした冷房に混ざって、やけに風流に聞こえる。

家に帰ると、ハンカチからくるんだ親不知を出して、ジップロックに入ったまま本棚に置いた。
こうやって見ると、化石みたい。
ところどころ虫くれて、黄ばんで、ガタガタで。どこか遠い太古からやってきた、アンモナイトの欠片みたいな。
けれど、かくしてその実態は。私の親不知である。
私から抜け落ちた私の親不知は、本棚に置かれ、サン=テグジュペリの『星の王子様』や借りてきた一昔前の漫画なんかに混ざって、ただの「飾り」になった。

案の定、痛みはひどくなった。夜中に痛み止めが切れてウンウンうなり、マグカップいっぱいのお白湯でロキソニン二錠を流し込んだ。それでもまだしばらくは痛くって、うなりながら泣きそうになった。痛みが切れた頃に寝付くと、痛みとともに目が覚めた。なんだか自分が、すごく理不尽な目に遭っているように思えた。

朝になると痛みは幾分かマシになっていて、それでも口の中の張り付くような違和感は消えなかった。
うまく口が動かせなくって、半べそでボソボソとトーストを食べた。ジャムを塗ろうと思ってやめた。なんでだろう、虫歯を連想したからかもしれない。

三日目にやっと違和感が消えた。
それで私は親不知を持って、海に出かけて行った。

山陽須磨駅で降りて海岸に出ると、思ったより混雑していた。
お盆を過ぎると、クラゲが出るよ。
まるでお化けが出るようにそう言った祖母を思い出す。お盆を過ぎると、クラゲが出るよ。浮遊するクラゲが、8月15日に帰り損ねたご先祖の魂みたいで、幼い私はそれをひどく怖がった。
クラゲに負けないのか、それともクラゲなんて出ないのか。ビーチの若者はとても元気だ。

傾きかけた分厚い陽射しに参りながら、ほとほとと海辺を歩く。当たり前なのだが、みんな水着だ。日焼け対策のパーカーにジーンズという出で立ちなので、自分がなんとなく目立ってしまうのを感じる。せめて、と靴を脱いで裸足になった。えいや。一歩踏み出す。足の裏が焼け付いてとろけてしまいそう、その位に、砂浜は熱い。けど実際そんなことはないので、恐る恐るながらも裸足で砂浜を歩く。

ビーチから少し離れたところにある、張り出した堤防の端っこまで辿り着くと、私は海を眺めた。濃い緑青。太陽を跳ね返す金色。ちろちろと、赤白のブイが浮かんでは消え、浮かんでは消え。晩夏の海は、燃え尽きる前の花火のようだ。どれもものすごく濃い色合いで、最後の声を上げている。
ポケットからジップロックに入った親不知を取り出した。よく見ても、引きで見ても、やっぱり親不知はアンモナイトみたいだった。私の親不知というには、あまりにも私じゃなかった。つまりこれは、もう私ではない。私から零れ落ちた時点で、私の歯茎に根を張り私の一部だった親不知は、私ではなくなったのだ。
「では」
ジップロックに入った親不知を取り出す。腕を振り、少しの間もなく海に投げ捨てた。
親不知は高く大きく飛び、けれどそれを確認出来たのも一瞬で、すぐに海に見えなくなった。
ぼぅっと、親不知が行ってしまった海を眺める。太陽が、ゆっくりゆっくり、海に傾いていく。夕刻は、もうすぐ夜の幕を引くだろう。
カナカナカナ…。
近くの松林だろうか。どこかでヒグラシが泣いていた。夏の終わりの寂しさが、辺り一面に甘酸っぱく満ち溢れている。
帰ろうか。色濃い影法師が長く長く伸びている堤防を、少しだけ泣きたいような気持ちになって、すうっと歩いて行った。

その夜は、本当に穏やかに眠った。湯上りのほかほかした体をベッドに投げ出して、まどろみがやってくるまで体を持て余す。そのうち瞼が重くなり、薄っぺらい夏布団を頬まで引っ張り上げる。ガーゼの布がしんと冷たい。電気を消すと開け放しの窓から月明かりが漏れて、ラベンダーのような匂いがした。もうすぐ、眠りがやってくる。
目を瞑ると、深い深い海の中に居た。私は小さな親不知になって、海藻の茂みに埋れ、頭上を行く透き通ったくらげを眺めていた。どこからか、銀色に光る魚がやってきて、私のからだをつついた。 つつかれた拍子に私は海藻の茂みから離れ、揺蕩いながらどこまでも暗い海の底に落ちて行った。
波に踊り、海流に飲まれ、茶色いからだが洗われ削られて、少しずつ白く丸くなっていく。洗いざらしの髑髏のように。洗われ、削られ。洗われ、削られ。そしてやがて自然と消えてなくなるまで、私はどこまでもたゆたい流されていく。

海は深く、青かった。大きな母クジラが、月に向かって子守唄を歌っている。
わたしは、穏やかな海の底へと、ゆっくりゆっくり、沈んで行った。

想ハナイコト

二度と人のこと好きになるもんか。
二度とだれかを大事だと思うもんか。

歯をくいしばってくいしばって
奥歯に詰めたプラチックかセラミックか、そんなのがガギリといやな音を立てて取れて
それでもくいしばってくいしばって
2月のうすら寒い雨に打たれながら
ドブネズミみたいにボソボソに濡れて
歩いて歩いて
1時間も歩いて
おうちに帰るともう本当に誰のことも信じるものかと
気が付いたらボソボソに濡れてたのは雨だけじゃなくて
信じられないくらい静かに、信じられないくらいたくさん、泣いていた。

ロキソニン睡眠薬とを飲んで、ぽてりとベッドに横になった
わたしはずっとひとりぼっちだ
ひとりじゃないときなんて
今までもこれからもないだろう
どこにいても、だれといても
寂しくて寂しくて
ついつい誰かを見つけると嬉しくなってしまって。

でも、もう、やめよう。どうせ一緒にいられないのなら、もうだれのことも想わない。

ひとつなりたいなあ
ひとつに。
人とひとつになりたいなあ。

寂しい。誰かに助けてほしい。でもだれも助けられない。

だからわたしはもう、だれのことも想わない。

しばらくかんがえそうである。

ある夜のこと。終電間際の阪急電車に滑り込んで、やれやれと腰を下ろすなり

「きゃーーーーー!」

と威勢のいい声が聞こえた。見れば、ふくふくしたかわいらしい赤ちゃんが、電車に興奮しているのか、窓の外でも見ているのか「きゃーーーー!」「きーーー!」と小さな怪獣みたいに声を上げている。

元気やなあ!なんとなく見ていたくて、赤ちゃんの方を向いてニタニタしてたんだけれど、寄り添うお母さんの顔を見てびっくりした。

眉間にシワ。泣きそうに吊り上がった眼。「お願いだから静かにして」という気持ちが深く刻まれてた。ああ、たぶんいつもこうなんだな、この赤ちゃん。だからお母さん、こういう顔になっちゃってるんだ。

確かに電車内の空気はピリピリしてる。怪獣みたいな赤ちゃんに、いつだれが文句を言ってもおかしくない。正しくは、きっとお母さんに。静かにさせろよって。

私は、赤ちゃんにニタニタするのをやめて、お母さんを見た。

お母さん、大丈夫。赤ちゃんって騒ぐもんだもん。お母さん、大丈夫だから。泣かないで。

降車駅になって席を立った。お母さんが顔を上げたら笑いかけたい。そう念じてたけど、やっぱりダメだった。怯えたみたいに赤ちゃんを抱きしめて、ずっとうつむいてた。ひょっとしたら「うるさいんだよ」って、嫌味で側に立ったみたいに見えたのかもしれない。お母さんを見ていたのも「静かにさせて」って目線だと思ったのかもしれない。


何も言えなかった自分が悔しい。

「可愛い赤ちゃんですね!」

その一言でよかったのになあ。

電車を降りながら後悔した。半端なことはやっちゃいけないなあ。

私の行動でお母さんが救われるなんて思ってないけど、なんとなく和んでくれたらそれでいい。なんかいきなりウチの子可愛いって言われたわーって、そんなくらいで良いんだけど。

私には子供が居たことないからわからないけど。お母さんの車内の人全員に怯えたような、ずっとすみませんって思い続けちゃってるような顔が、忘れられない。私だったらああいうとき、1人だけでもいい、味方が欲しいって思っちゃうと思う。


どうなんだろ。そんなときってほっといて欲しいんだろうか。


うーむ、やっぱり子供を持ったことがないので想像出来ない。しばらく考えるテーマになりそうです。