一文一投

思ったことを、だれかにひょいっと投げるきもちで

空に見えなくなる鳥

問題です。会えるけど一緒に居られなくて寂しいのと、ただ会えなくて寂しいのと。どっちが寂しいでしょう。

友人のワカちゃんがバラ色のため息と共にそう聞いてきたので、うーんと考えて
答えなんてないんじゃないかなあ
と言うと
会えるけど一緒に居られないって意味わかる?
と嬉しそうに聞かれた。

わかるよ。今のわたしがそうだもの。
言えず飲みこむ。へへへ、とわらう。目の前に置かれたアイスコーヒーの氷に、ぴしりと綺麗なひびが入った。

大切な人の大切なものを想うことなんて、やめた方がいい。大切な人の大切なものを想う時、必ずそれを尊重しようとするから。自分自身も、大切な人の大切なものを大事にしようとするから。
そうなったらおしまいだ。終わりは目に見えてて、相手は羽根を広げて羽ばたいて、本当に幸せそうに大空を飛んで行く。わたしのそばから、どんどん離れてぐんぐん舞い上がって、そして見えなくなってしまう。

でも、たぶん、それがわたしのしあわせ。だから何も言えない。いつも、何も言えない。

喫茶店を出ると夕暮れだった。電信柱に止まったカラスに向かってワカちゃんが
アホーアホーカラスのアホー
と言っている。
たぶんワカちゃんは今すごく幸せな恋愛をしている。わたしはどうだろうか。きっと、ワカちゃんと同じようなテーマを抱えているようで、ぜんぜん違うんだろう。
彼のことを想う。夕焼け空を見る。黒く羽ばたいていく、大きな鳥が見える。

好きなだけ飛んだらいい。飛んでいるあなたを見るのはしあわせ。けどでも、戻ってきたいと思っても、もうここには居ないんだからね。
そこまで考えて気付いた。
そっか。大空に舞い上がっているのは、大切な人から離れて行ってるのは、むしろわたしの方なのかもしれない。

カラスのアホー
そう嬉しそうに笑うワカちゃんの隣で、ひとりそんなことを考えた。夕焼け空の大きな鳥は、もう見えなくなっていた。

へび

「へび?」
カウンターの中を指さして言うと
「へび」
とセンセイはうれしそうに笑って何度も頷いた。
「触われる?」
とセンセイが聞いたので、今度はわたしが恐ろしそうに首を振って
「触わったことない」
と答えた。
へいきだよ、咬まない。ハラいっぱいのときは咬むけど。
センセイはそう言いながら小さな白いへびをケージから救いあげて、わたしに差し出す。おそるおそるうろこをなでると、ひやっとして湿っぽくて、案外つるつるしていた。触れたことない感覚。けれど、嫌な感じはしない。違和感はあった。生き物なのに、冷たい。
うろこをしばらくなでていると、センセイはひょいとわたしの片手を持ちあげ、小さな白いヘビをてのひらに絡ませた。
「うわ」
ため息みたいな声が出て、あわてて口をつぐんでセンセイを見た。センセイの目はうれしそうだけどどこか深いところが悲しそうで、でもそれはいつものことだった。センセイの目は遠浅の海だ。緑がかった海で泳いでいたら、急に黒くて真っ暗な深みにはまってしまう。とても悲しい深みに。
「どう?」
センセイはそんな目で笑って聞く。
「宇宙人みたい」
「見た目が?」
「ううん、触り心地。生きてるのに、冷たいもの」
「おもしろいこと言うね」
センセイは裏の冷蔵庫からビールを二本取ってきて、片方をわたしの目の前に置いた。
「宇宙人、触ったことある?」
センセイはビールのプルトップをひねる。わたしはセンセイにへびを返して、目の前のビールに手をかける。
「ない。会った事ない」
「でも宇宙人みたいな触り心地なんだね」
スペシャルセンシビリティ、と発音のいい英語でセンセイは言った。

センセイの店を出るとき、握手をした。センセイの手はひやっと冷たくて、弾力のある静かな樹脂みたいだった。
「またね」
「また」
センセイの手は、へびに似ていた。

いつかわたしは、あのへびみたいなセンセイと寝るんだろう。
そんなことを考えながら、帰り道の夜空を見上げた。
ちろちろと瞬く赤い星は、あの小さな白いへびの眼にそっくりだった。

スミにクチ

とうとうさようならをする時が来たのだと思うと切なくて切なくて、なんでだろうどうして別れなければいけないのだろうと、ちょっと泣いてみたけれど、別れを決めたのは私なのだから、それは無責任の涙じゃあないのと自分を戒めた。

月明かりと、彼が消し忘れたポッド型の間接照明で満ちている部屋をぐるりと見渡して、忘れ物はないだろうなとチェックする。
次にここに来るヒトの為に、是非とも私の痕跡は残しておきたくない。
ここで寝転がって「遊んでいる」時に、とても綺麗なピアスを見つけた。ピンク色のパールみたいなのがひとつぶ、花びら型の台座にくっついたピアスだった。
ピンクと、パールと、花びらと、そんなもんがくっついたピアスが似合う女ってどんなだろうな。
稲妻型の自分のピアスを弄りながら、3秒間だけ考えた。

寝ている間に私が居なくなったら、きっと彼は誤解するだろう。彼がたくさんの女と「遊んでいる」ことに耐えられなくなったのだ、と。

そんなことはどうでもよかった。彼が一体、どれだけの、どんな女達と、どこでどうして過ごして居ようが、ピンクのパールと花びらのピアスくらいに、どうでもいい。問題はそんなところじゃない。

彼はいずれ、私と居ることが息苦しくなる。

彼の寝顔をじっと見つめて、それから右の袖をめくった。
腕に巻きつく龍。
すごく有名な人が彫ったって聞いた。その人はきっと、ちっともこんな世界なんて見てないんだろう。どこか別の、遠い遠いところを見ているんだ。そのくらいに、彼の腕の龍は美しい。

跪いて龍にキスをした。さようならのキス。
抱きしめてもらうときには、この龍といつもキスをする格好になった。彼の腕の中にいるときは、必ず龍も居た。藍色と、深緑と、少しの朱色で出来た美しい龍。私はこの龍がとても好きだった。

さようなら。

点け放した灯りはそのままに。カバンを持ってドアを開けた。

切なくてたまらないこの気持ちは、いつかあの龍みたいに、強く空へ舞い上がるだろう。

振り向かずに、ドアを閉めた。

冬の朝

ふるると震えて起きると
外は雪だった
しばらくぼぉっと考えて
恋人にぴったりと寄り添う
生きている人間は
暖かい
例え眠っていても
ずっと眠ったままに見えても

そうしてしばらくして
ちっとも恋人の腕が
私の腰に絡んでこないのを考えて
ふと寂しくなって
世界からすべて取り残されたみたいに悲しくなって
ぴったりと寄り添うのをやめて
天井を見る
知らない場所みたい
白い天井、白い蛍光灯

やがてこうやって
2人重なって朽ちて行くイメージを持つと
なぜか少しだけ元気が出た

生きているものは死んで
生きているものは死んで朽ちて
細かく分解されて
粒子になって
風に漂ってみたり
土と混ざり合ってみたり
戯れて戯れて

そしてまたあなたのところに還れたらいい
そんな風に思う
雪の朝だった

金曜深夜零時

こつ、こつ、と靴を鳴らして部屋の中に入ると、当たり前だけれど真っ暗で、手探りで電気を点けて「ただいまぁ」と言ってみたけれど、寝ぼけたみたいに間抜けな自分の声が響くばかりで、引っ越して間もないがらんどうの私の部屋は、闇から何かを跳ね返しながら、確実に寂しくてあったかかった。

ストーブの電源を入れてスンと鼻をすすった。自分が、泣いていないのに泣いているみたいだった。泣いてるのかもなあと思ったところで本当に涙が出そうで、今度はバスルームに行って思いっきりお湯の栓をひねった。もうもうと立ち込める湯気の中で、今度こそ本当に泣いた。泣きながら服を脱いで湯船に滑り込んで、そしてまた泣いた。
 
誰かと居るなんて無意味だ。寂しいだけだから。
 
理解されたくて、理解をしたくて、いつも誰かを求めてみる。求めると求められるっていうのは世界の法則で、だから私は常に誰かに求められている。たまに「愛しているけど振り向いてくれない」っていう愚痴を聞くけれどあれは嘘で、「愛しているけど振り向いてくれない自分」を求めているから、そんな自分に求め返されているだけだ。本当に愛しているなら、必ず相手から求められる。しかもごくかんたんに。
 
本当は求められたくなんてない。求められるくらいなら、ずっと寂しい方がいい。いやいや、本当の私はどっちだろう。理解されて、飲み込まれたいっていう私と、理解しようとしてくる人を、飲み込んで吐き出していたいっていう私と。
 
世界は、寂しい悲鳴で出来ている。
 
お湯から出て体を拭いた。裸んぼのまんまで、コーヒーを入れた。ひき立ての豆の、いい匂い。南の国に行ったみたいで、少しだけ楽しい。
ラジオを捻ると、時報がちょうど0時を告げていた。金曜深夜零時の云々カンヌン、連休前のパーソナリティはおしゃべり。
 
おはよう明日の世界、あんたなんかに生きてやるもんか。
 
ベッドに潜り込んでまぶたを閉じた。さようなら、さようなら、世界さんさようなら。
船の上からテープを持って、さようなら、さようなら。波打ち際で出航を見送る人たちに、優雅に微笑んで、手を振って、さようなら、さようなら。
そしてロープは切れて、海に飲まれて見えなくなる。私は、旅立つ。
人生の幕をそんな風におろせたらいい。さようなら、さようならと、波打ち際に手を振るように。さようなら、さようなら。世界さん、さようなら。
そんなことを思いながら、金曜深夜零時の何時何分に、別れを告げる。遠くで眠りから溶けた星が鳴っている。今夜の宇宙の天気、晴れ。あしたも、きっと晴れるだろう。世界はどこまでも冷たく、晴れるだろう。

カガミ

土曜日の帰り道。


大声で座席を占領している、うら若きお嬢さんたちに出会う。

見ればけっこう可愛い。まさに「恋するお年頃」といったところ。

ふと窓に映った自分を見る。

髪はボサボサ、化粧もはげてる。靴底はすり減ってるし、そういやコートの毛玉なんて、最後にいつ取ったのやら。

ため息が出そうになって、ふと笑った。お嬢さんたち、今が花だよ。若さも、若さに伴う美しさも、今を逃せば一生手に入んないよ。

なーんて、31歳が言うことじゃないか。しかしまあ、終電間近の31歳、窓に映った私はしっかり「オバサン」だ。


帰ったら湯船に浸かって、しっかりお肌の手入れをしよう。新しい靴を買って、コートの毛玉を取ろう。

「大声で話すお嬢さん、お里が知れてよ」

そう注意しても、一歩も引かない、うるさいよオバサンなんて言わせない。

そういう女性に、私はなりたい。


やさしいあした

バスタブの中でシャワーを浴びていると、自分がどうしようもなく大きな存在であるかのような気がしてきた。目を瞑ってシャワーの水滴に顔を濡らしている私はすくすくと大きくなっていって、やがてバスタブの天井なんか超えてしまって、このちっぽけなアパートも飛び越えて、そして宇宙へのいちばん端っこへと届いていくのだ。

ふふふ。少し笑う。こんなこと考えるなんて。私ってやつは、平和なのか、それともどっかおかしいのか。

シャワーを浴びすぎてのぼせた体を冷やしたくて、バスルームの戸を開けた。開けっ放しにしたままバスタブに腰かけて、しゃこしゃこと歯を磨く。左、右、上、下……。歯の前側全体をおおざっぱに磨いたところで、玄関の扉が開く音がした。

「ただーいまぁ」

間延びした声がしてパタパタとスリッパの音が近づいてくる。ソラさんだ。

「おひゃえりー」

口の中が泡だらけの私は、変なイントネーションでおかえりを言って、片手を上げた。

「また、もう!この子は!」

キッチンに入って来たソラさんは露骨に顔をしかめる。せせこましいこのアパートは、キッチンの奥(冷蔵庫の横あたり)がお風呂になっていて、扉を開け放していると浴室の様子が丸見えなのだ。

「扉は閉めるように言ったでしょ」

ソラさんは私を見下ろしてたしなめる。私は口から泡をペッとやって応戦する。

「ソラさんになら見られてもかまわんの」

「そういう問題じゃない。妙齢の娘が」

「じゃあ一緒に入る?」

「遠慮しときます」

ソラさんたら恥ずかしがりなんだからあ~。そう言う私に背を向けてソラさんは冷蔵庫のドアを開けた。

「ビール買ってきたし、お店の残りのカポナータもあるんだけど。ヤエちゃん歯を磨いちゃったみたいだし、何より聞き分けの悪い子だからあげませんね」

「ええ!ちょっと待って!すまん、すみません、ごめんなさい悪かったです」

ソラさんはここから10分ほどのところでお店をやっている。ソラさんが朝から仕込む料理はめちゃくちゃ美味しい。美味しいけど滅多に食べに行かない。お店でソラさんの顔を見るのは、なんだかくすぐったいのだ。

私は急いで歯をゆすぐとバスルームから飛び出し、ソラさんに怒られないようちゃんと衝立を立てて、体を拭いた。湿ってじっとりと熱かった体が、コットンのタオルで癒されていく。すうっとのぼせてるのが引いて行って、ますますビールが飲みたくなる。

「お待たせしました」

タンクトップとジャージになってリビングに行くと、ああ言った割にソラさんはきちんとグラスを二つ出して、カポナータもしっかり二人分用意して待っていてくれた。私はソラさんのそういうところに、いつもキュンと来る。

フェデラー。負けちゃったのね」

ニュースを見ていたソラさんがポツリと言った。

「ソラさんテニス観ないくせに」

私はまたちょっといじわるな気持ちになってからかう。

「観ないけど」

ソラさんは「ううん」とうなった。

「けっこういい男じゃない、フェデラー。たまんないね」

私はハイハイと聞き流し、ビールのプルトップをひねった。ソラさんと軽く乾杯する。いただきますを言ってスプーンでカポナータをすくった。ひんやりとしたカポナータには甘酸っぱいトマトの匂いが満ち満ちていて、思わず喉が鳴る。えい、と口に放り込む。

「おいしい」

私の一言にソラさんは「当然よ」と笑った。そして「でも良かった」と目を細めた。そんな顔をしているとき、私はソラさんにどうしようもなく「お母さん」を嗅ぎ取る。母性と言うには大きすぎる、まさに「お母さん」の匂い。でもソラさんがお母さんになることは絶対にない。

「いつも思うけど、ソラさんは」

私はカポナータをもぐもぐやりながら言った。

「オトコにしとくの、もったいない」

ソラさんはまたお母さんみたいに笑った。

「わたしも、そう思うわあ」

 

 しばらく黙ってビールとカポナータを進めた。テレビは深夜の音楽番組に変わっている。特集!夏に聴きたい恋の歌!なんだろうね、夏に聴きたい恋の歌って、なんだろね。ソラさんに聞いてみる。

吉田拓郎の夏休み」

ソラさんは平然と答える。

「えー、あれ恋の歌じゃないもん」

「恋の歌ですよ」

「どこが」

「姉さん先生もう居ないって歌詞があるでしょ。あれはね、姉さん先生のこと、ちょっと好きなのよ。淡い初恋みたいに好きなのよ」

「へええ、ソラさんたら妄想族。乙女だね」

「そうよ、わたしオトコだけど、誰よりも乙女なんだから」

ソラさんの恋愛対象は男性だ。特定の相手は、今は居ないみたい。二年位前に死ぬほど恋したの、だからもう今はおなかいっぱい。そんな風に言っていたことがある。

ふとソラさんの視線が気になった。私の肩のあたりをじっと見ている。

「なに」

ソラさんの視線を目で追いかける。

「ううん」

ソラさんはふーっとため息をついた。

「わたし、あんたのこと引き取って正解だったあ」

「いきなりどうしたの」

「わたしね、肩がツンと尖って内側を向いてる女ってね、ほんとにいい女だと思うのよ。身も心もいい女は、そんな肩をしているのよ。ヤエちゃんの肩はまさにそんな感じ」

そうかなあ。私は自分の肩を見つめてみたけど、自分じゃさっぱりわからなかった。

一年前、何もかも一度になくした私に声をかけてくれたのがソラさんだった。ヤエちゃん、わたしと暮らさない?わたし、ゲイだから。だいじょうぶよ、一緒に暮らしたって。

それは今でも、とっても思い切りが必要で、そしてとってもすてきなアイデアだったと思う。

 「寝ましょうか」

ソラさんが隣の部屋に布団を敷き始めた。

「ねえソラさん、一緒に寝てもいい?」

ソラさんの部屋の入口に立って言う。

「ええ!?」

ソラさんは掛け布団を落っことすくらい仰天した。

「いいじゃないの。まんざら他人ってわけでもあるまいし」

「何を言うの。だめだめ、ぜったいだめ」

首をぶんぶん振るソラさんを尻目に私はソラさんの布団にもぐりこんだ。こら、ヤエちゃん、だめ、出なさい、これ。うろたえるソラさんを、布団の隙間からそっと見上げる。ねえソラさん。私は言った。

「私たち、しあわせ?」

ソラさんはきょとんする。

「私たち、しあわせかなあ」

恋人同士じゃなくても。家族じゃなくても。なにがどう、誰と違っても。その続きを言いかけてやめた。ソラさんの手が私のほっぺに伸びたから。

「ヤエちゃん」

ソラさんは私のほっぺをやさしく撫でた。

「わたしは、しあわせよ」

涙が出そうなくらい幸せなときが、人間にはちゃんと用意されている。しかもそれは、感じようと思えばいつだって感じられるくらい側に、こんなにもたくさんたくさん、用意されている。人と違っていても、正しいとされない形であっても。たくさんたくさん、用意されている。

「しょうがないな」

ソラさんは電気を消すと、するりと布団に滑り込んできた。

「今日だけね」

ソラさんの体は、ふんわりと優しくあたたかかった。お店の残り香だろうか、バジルみたいな、ぴりりとしたいい匂いがする。

「おやすみなさい」

ほとんど同時にそう言った。

カーテンを閉め忘れた窓から、レモンみたいなやさしい月が見える。あしたも、きっと、いい一日になるだろう。